不謹慎とは
2011-03-22
我々は生きて行かなければならない。
生き抜いて行かなければならない。
僕らの国には突然不幸な出来事があった。
しかし時は進んで行く。
仕事ができる健康と仕事ができる環境が(学生ならば学業か)
運にめぐまれ整っている我々はその仕事ができる幸せを
今まで以上に噛みしめながら働いて行かなければならない。
それが日本の未来の為にも被災地の復興の為にも
繋がるはずであると信じて。
しかし、福島第一原発問題において使用できる電力は激減し
交通手段の環境が悪化しているので多くの仕事が
潤滑に回らなくなっているのも現実である。
だけども働ける人間は働かなければ前進できない。
ただ何となくその空気を遮っているものがある。
それは一体何なのだろうか。
例えば、現在あらゆる楽しいことがコンセプトのライブや
イベントは数多くが中止を余儀なくされている。
「この時期に何を考えてるんだ」
ということが最大の理由か。もっと簡単に言えば
『不謹慎』
という三文字が文鎮のように乗っかっている気がする。
流石にそれはこの時期に『不謹慎』だ
と思う事もある。
しかし、この『不謹慎』のボーダーは誰にもわからない。
『不謹慎』とは慎みがないという事だ。
慎みとは控え目に振る舞うこと。
果たしてどこまでが『不謹慎』なのだろうか。
何をするにおいても何か目には見えない
『不謹慎の地雷』
しかし我々は動かなければならない。
だけども動けばそれは『不謹慎の地雷』を踏みかねないと
みんなで様子を見て先に誰かに毒見をしてもらってから
追随する感じもあるかもしれない。
これだけ品格も美徳も美意識も失って来た日本人は
皮肉にも『不謹慎』レーダーだけはとんでもなく敏感にできている。
誤解を恐れず書くならば娯楽も癒しの一つである。
これだけ困窮した現状でテレビでは惨憺たる映像を見続けて
被災地ではない場所でも精神的にはかなりきついこともあるかもしれない。
例えば美容室に行ったら節電節水にならないからそれは
『不謹慎』なのだろうか。
でも美容室からすればそれこそが仕事でありこんな時でも前進せねばと
やる気を奮い立たせて現場に行ったにも関わらず、そこに来ることが
『不謹慎』と言われたらそんなに悲しいことはない。
このうように『不謹慎』にはハッキリとした境界線がないが
どこに境界線を置こうとその境界線の向こうには必ず労働者がいることを
忘れてはならないような気がする。
日本は未曾有の経済危機である。
そこに未曾有の大地震が訪れた。
ただでさえ逼迫した日本経済は少子高齢化でそれに拍車をかけ
破綻まっしぐらでありしかも実際に働ける生産人口が激減する中
このまま疲弊していったら明日はない。
これは
史上最強最悪の試練である。
そんな中労働力や働く精神力を落としてしまっては
本当に株式会社日本は倒産してしまう。
明日からも多分『不謹慎』のボーダーを探り探り
まさに空気を読みながらその『不謹慎』の領域を少しずつ狭めて行くはずだ。
この間の金曜日までは『不謹慎』ではなかった
100のことの内98までは『不謹慎』の領域に入っている気がする。
それはもちろんそれで正しい。
しかし最初にも書いたように我々働ける人間はゴリゴリ
働いて生産していかなければならないのも事実。
この『不謹慎』の領域はあらゆる意味で意外と大きな
経済逆効果を生むこととなる。
慎まなければならない。
全ては控えめにしなければならない。
本当にそう思う。
しかし停滞はできない。
働ける人間はトンネルの先を掘り続けなければならない。
「おちまさとオフィシャルブログより」
【 ORDER GALLERY 】
ご注文ありがとうございます
生き抜いて行かなければならない。
僕らの国には突然不幸な出来事があった。
しかし時は進んで行く。
仕事ができる健康と仕事ができる環境が(学生ならば学業か)
運にめぐまれ整っている我々はその仕事ができる幸せを
今まで以上に噛みしめながら働いて行かなければならない。
それが日本の未来の為にも被災地の復興の為にも
繋がるはずであると信じて。
しかし、福島第一原発問題において使用できる電力は激減し
交通手段の環境が悪化しているので多くの仕事が
潤滑に回らなくなっているのも現実である。
だけども働ける人間は働かなければ前進できない。
ただ何となくその空気を遮っているものがある。
それは一体何なのだろうか。
例えば、現在あらゆる楽しいことがコンセプトのライブや
イベントは数多くが中止を余儀なくされている。
「この時期に何を考えてるんだ」
ということが最大の理由か。もっと簡単に言えば
『不謹慎』
という三文字が文鎮のように乗っかっている気がする。
流石にそれはこの時期に『不謹慎』だ
と思う事もある。
しかし、この『不謹慎』のボーダーは誰にもわからない。
『不謹慎』とは慎みがないという事だ。
慎みとは控え目に振る舞うこと。
果たしてどこまでが『不謹慎』なのだろうか。
何をするにおいても何か目には見えない
『不謹慎の地雷』
しかし我々は動かなければならない。
だけども動けばそれは『不謹慎の地雷』を踏みかねないと
みんなで様子を見て先に誰かに毒見をしてもらってから
追随する感じもあるかもしれない。
これだけ品格も美徳も美意識も失って来た日本人は
皮肉にも『不謹慎』レーダーだけはとんでもなく敏感にできている。
誤解を恐れず書くならば娯楽も癒しの一つである。
これだけ困窮した現状でテレビでは惨憺たる映像を見続けて
被災地ではない場所でも精神的にはかなりきついこともあるかもしれない。
例えば美容室に行ったら節電節水にならないからそれは
『不謹慎』なのだろうか。
でも美容室からすればそれこそが仕事でありこんな時でも前進せねばと
やる気を奮い立たせて現場に行ったにも関わらず、そこに来ることが
『不謹慎』と言われたらそんなに悲しいことはない。
このうように『不謹慎』にはハッキリとした境界線がないが
どこに境界線を置こうとその境界線の向こうには必ず労働者がいることを
忘れてはならないような気がする。
日本は未曾有の経済危機である。
そこに未曾有の大地震が訪れた。
ただでさえ逼迫した日本経済は少子高齢化でそれに拍車をかけ
破綻まっしぐらでありしかも実際に働ける生産人口が激減する中
このまま疲弊していったら明日はない。
これは
史上最強最悪の試練である。
そんな中労働力や働く精神力を落としてしまっては
本当に株式会社日本は倒産してしまう。
明日からも多分『不謹慎』のボーダーを探り探り
まさに空気を読みながらその『不謹慎』の領域を少しずつ狭めて行くはずだ。
この間の金曜日までは『不謹慎』ではなかった
100のことの内98までは『不謹慎』の領域に入っている気がする。
それはもちろんそれで正しい。
しかし最初にも書いたように我々働ける人間はゴリゴリ
働いて生産していかなければならないのも事実。
この『不謹慎』の領域はあらゆる意味で意外と大きな
経済逆効果を生むこととなる。
慎まなければならない。
全ては控えめにしなければならない。
本当にそう思う。
しかし停滞はできない。
働ける人間はトンネルの先を掘り続けなければならない。
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