またまた僕の
お師匠様(勝手に師事)のブログよりそのまま引用
震災のこともあったりして自分的には全く盛りがない春の選抜高校野球。
まぁ、地元の愛知県から代表校が選出されていない事も盛り上がれない
理由であると思う。
あまり週刊誌を読むことがない私ですが、唯一購読している
週刊ポスト誌の北野武(ビートたけし)氏のコラムで興味深い一文を引用‥
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今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。
テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。
だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、
被害者のことをまったく理解できないんだよ。
じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、
そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。それは死者への冒涜だよ。
人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。そうじゃなくて、
そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。
本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。
被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは
「妻が」「子供が」だろ。
一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が
一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、
自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと
思ってしまうのが人間なんだよ。
そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。
2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、
その悲しみに今も耐えてるんだから。
だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。
その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが
現在進行形で身の危険を感じているわけでね。その悲しみと恐怖の
「実感」が全国を覆っているんだからさ。
逆にいえば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたか
という証拠だよ。海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、
国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、
悲しまなかった。「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、
心からその重さがわかるんだよ。
それにしても、今回の地震はショックだったね。こんな不安感の中で、
普段通り生きるのは大変なことだよ。原発もどうなるかわからないし、
政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。政治家や官僚たちに
いいたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。
まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。
これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかない
って人は多いと思うぜ。
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。
もう、それしかない。
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震災関連と比較すること自体が馬鹿げている事だけれど、北野武のコラムに
似た心境(以下の部分)によるものから、春の選抜高校野球が自分的には
盛り上がれない理由なのかもと思ったりした。
言い換えれば、野球ファン的には地元の学校の出場して
稲甲子園大会や贔屓チームが出場していない日本シリーズを見ても、
自分を盛り上げられないみたいな‥
「一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が
一人死ぬことの方がずっと辛いし、深い傷になる。残酷な言い方をすれば、
自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと
思ってしまうのが人間なんだよ。」
ということで、↑上の一文は人間の真意を付いているなぁと感じた。
風評被害云々で叩かれようが、スーパーでレタスを買うときにでも茨城県産を
選ばず熊本県産を選んじゃうもんなぁ。だって、大丈夫だと言われていても、
やっぱ親としては子供に食べさせられないよ (;´Д`)
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